1949-09-12 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第35号
共産党では出身縣に対して議会報告をやるが、山口縣の隣りは廣島縣であるし、その隣の九州は大分縣ですが、そういうところからは共産党の代議士は出ておらぬ。ですから共産党の國会報告はだれかが行つてやらなければならぬ。そこで廣島縣の党委員会より來てくれということで行つたわけです。
共産党では出身縣に対して議会報告をやるが、山口縣の隣りは廣島縣であるし、その隣の九州は大分縣ですが、そういうところからは共産党の代議士は出ておらぬ。ですから共産党の國会報告はだれかが行つてやらなければならぬ。そこで廣島縣の党委員会より來てくれということで行つたわけです。
これは疱瘡ばかりでなくて、たとえば百日咳あるいはジフテリアの問題について、今年の冬から春にかけて全國で非常にいろいろな問題があつたわけで、直接私どもも自分の出身縣である岡山縣の方々の市町村からも苦情を得ているようなわけでありますが、これは大臣官房の統計調査部で出されたものを見ましても、百日咳が本年度の累計が五万八千六百九十九となつている。
私の出身縣であります廣島縣などは殊に大きな縣でありますが、そうした縣において三、四人のものが選ばれるのに、ただその被選挙者の立候補者の姓名の掲げられたときに、初めてその姓名のみを知るというようなことがあり得る。むしろあまりにもあるのではないかというふうなことが考えられるのであります。この点につきましても、なお逐條審議が行われますならば、重ねて意見が述べたいと思うのであります。
ところが私どもの出身縣においては、当局の態度は非常に結構だと思つております。自作農地の適正規模の限度などに対して当局から指示されたことは、私どもは満足しておりますが、一体都道府縣農地委員会の意向、大体の趨勢というものをどの程度汲み入れられてあるかということを伺いたいのであります。
それから野溝さんやわれわれの出身縣である信州などの繭関係であります。これは主食の見返りとして輸出せられるもので、その性質上は主食と同等に考えてもいいのではないか、こう思われるのでありますが、こういうものに対しては、事業税は何かあなたの方で特別の構想をもつておられないのであるか。私はこれははずしてもらいたいと、卒直に申すと考えておるのであります。
また明治維新以後においても、この点、西欧文化の輸入地として、特にその海外の文明を輸入する基点になつておつたのでありまして、こういう歴史的の因縁からも山口縣が教育を非常に尊重する傾向をもつておつたことと、そういう環境に惠まれていたということを、私出身縣として十分誇りに感じておる次第であります。
農村などの実例に見ますと、私の出身縣であります新潟縣などの單作地帶、この地帶におきましては、米だけが唯一の生産物であります。米を賈りましての收入が唯一の收入であります。それに対しましてし私の地方におきましては、反当り二石というのが一般の收入の状態でありますが、その程度の收入のものに対しまして、一反当り二千円の所得というものが、大体通告を受けた課税所得の標準になつてるのであります。
私の出身縣であります宮崎縣のごときは、山林の九割までが、國有林であります。しかもその國有林の中には、千占斧鉞を入れざる大森林等もありますが、かくのごとき國有林を拂下げまして、これを財源といたして植林をするということになりますならば、これは思い切つたところの植林計畫ができるじやないか、かく考えるわけであります。
それだけの心構えがないからそれだけの統制ができないのでありまして、この例といたしましては私は出身縣の福岡縣の例をとつて申し上げますと、福岡縣は非常に乳幼兒の乳製品及び牛乳は、全國的に見て一番状態が悪かつたのでございますが、縣當局の非常なる努力によりまして、ことしの七月でございましたか、銀河という喫茶店に牛乳が配給されて、これを健康なるおとなが飲んでおる現場を押えまして、そういう牛乳のやみ配給というものを
○中嶋(勝)委員 今私の出身縣の山口縣に例をとつて申しますと、山口縣では十市二町に育兒食を配給いたしております。ところが農村におきましてはあれを非常に渇望しておるのであります。農村の人々もこのごろ煉乳の配給が非常に少くて困つておるのであります。それでぜひ農村にも配給してほしいという要望があるのですが、農村の實情を聞いてみますと、配給の必要があるように思います。
たとえば私の出身縣の沼宮内の驛舎は、明治三十三年に日本鐵道株式會社が施設した驛舎であります。しかもそれが狭隘であつて、まつたく現状といたしましては犬小屋に馬を繋がなければならないような状況であります。犬小屋に馬を繋ぐのに非常な技術をおもちになつておる運輸當局は、上手に犬小屋に馬をお入れになるかどうか存じませんが、とにかくさような状況で野放しにされておるのであります。
御承知のように、殊に私の出身縣であります岩手縣は、今度で大きな災害を三度も受けております。しかも三度目の災害というものは、まつたくその慘状が想像以上である。しかるにもかかわらずさような印象を國民に與えつつあるということでは、東北の災害というものの救濟の全きを期し得ないと思うのであります。